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寂光院のご本尊様は六万体地蔵尊と称される鎌倉時代造立の地蔵菩薩立像(重要文化財)であった。平成12年5月9日未明、心ない者の放火により、ご本尊様は大きく焼損してしまった。財団法人美術院において修理を施されて、現在は境内奥の耐火構造の収蔵庫に安置されている。
新しいご本堂には、国宝修理所の小野寺久幸仏師によって、形・大きさともに元通りに復元された新たな地蔵菩薩立像が安置され、落慶式と同時に、魂入れの儀式として入仏式が厳修された。鎌倉時代の制作当時そのままの美しい彩色である。
地蔵菩薩の本願は、抜苦与楽ということで、それは慈悲の心を表わす。人間の苦しみや辛さ、思い通りにならない現実を救い抜け出させて頂き、願いを叶えて頂ける諸願成就のご利益があるということである。
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第3代の建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の皇后、安徳天皇の国母)は、文治元(1185)年9月に入寺し、真如覚比丘尼と称した。そして源平の戦に破れて遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門と、我が子安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされた。建礼門院坐像は、木造、ヒノキ材の寄木造で、女性像には珍しく結跏趺坐の座り方で、浄土宗の墨染めの衣を着している。現在の寂光院は天台宗であるが、中近世には天台・浄土兼修の尼僧寺院であったからである。
新しい像の制作は、平安仏所江里康慧仏師に依頼し、1年有余の歳月を経て完成した。扉に美しい大原に自生する草花を配した溜め塗の厨子も平安仏所の故佐代子夫人(人間国宝)の手になるものである。
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第2代の阿波内侍(藤原信西の息女)は、崇徳天皇の寵愛をうけた女官であったが、出家のあと永万元(1165)年に入寺し、証道比丘尼となった。建礼門院に宮中より仕え、草生では大原女のモデルとされている。焼失前の阿波内侍像は藁芯に書状類を貼り籠めたいわゆる張り子の像であった。焼失後の焼け残った書状類から室町時代後期ごろの年号のあるものが発見されており、制作は室町時代ごろであると推測されていた。新しい像は同じく平安仏所の制作になる。 |
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